日記

フィリピン・セブ島で生活していた日本人OLの日記

2019年12月 レイテ島慰霊碑巡り① リモン峠とオルモック

2019/12/28~30 2泊3日 レイテ島1日目 (フィリピンに移住して3か月)

私の約1年のフィリピン生活の中で、最も思い出に残っている3日間です。

 

リモン峠とオルモック ※この記事

ビリヤバ

ビリヤバとカンボギット山周辺

タクロバン・パロ

観光・まとめ

前置き

実はフィリピンに住むことを決めてから、ずっと行きたいと思っていたところが「レイテ島」でした。

太平洋戦争中のフィリピン戦の中でも特に激戦地だったのが、セブ島の北東のレイテ島です。

海でも陸でも戦争が行われたこの地に、いつか行きたいと思っていたのでした…。

 

留学中も一度計画して航空券も買ったのですが色々あって断念。

今度は働いて住むことになたし、2019年年末に長期休暇があるから、今度こそ行きたい!と

戦没者慰霊碑巡りの管理人の山上さんに連絡を取ってみたところ、たまたま年末はレイテにいるとのことで、「案内しましょうか?」と。

こんな機会は2度とない!、と思って「ぜひ!お願いします」と答えたのですが…

その翌年には世界的パンデミックが起こって日本に帰国することになたので、本当に2度とない機会でした。

 

kindleで本も出版されています。

アフィリエイトURLとかではないです

 

すべて山上さんに案内についていったため、記憶も薄れていて順番などは細部違っている可能性があります。。

初日 タクロバン空港に到着

私が住んでいたセブ島からレイテ島へのアクセスは、

フェリーでオルモックに入るか、飛行機でタクロバンに行くか。

この2つの町は車で2~3時間ほどの距離で、どっち拠点にしてもよさそうですが、

私は乗り物酔いしやすいので、船は無理!と思い、飛行機を選択。

 

ちなみに、航空券は往復で4,417ペソ(約9,000円)でした。

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飛行機に乗って1時間ほど、朝9時40分到着です。

荷物受付レーンだけがある、信じられないほどちっちゃい空港でした。

セブは小雨だったのですが、タクロバンは快晴でした。良かった~!

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空港を出たところで山上さんと待ち合わせ。

まずは準備しましょうと、市内までジプニーで行くことに。

ちなみにこれが初ジプニーだったという。覚えてないけど15ペソ(30円)くらい。激安。

前の週に台風が直撃していたのもあって、木や家が倒れていました。

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タクロバン市内ですが、セブ市しか知らなかった私からするとカルチャーショックを受けるくらい、発展途上国のような感じでした…。

とはいえ、どこにでもあるSMモールで、ドーナツを買って、いざ出発です。

 

リモン峠 ブレイクネックリッジ

乗合バンにのってリモン峠方向に向かいます。

乗合バンですら初めての体験で、私はすべてに緊張してました。

 

たぶん1時間半ほど揺られたところの、こんな感じの何にもないところでおりました。

あまりにも何もないからびっくり(イメージとしては、田舎の高速道路の途中で降りているような気持ち)

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台風の影響で、目印の看板が倒れていました。

「JAPANESE SHRINE(日本の神社)ブレイクネックリッジ」 の文字がありますね。

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右側を見ると階段が…なのですが、ここも台風の影響でふさがれてました。

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それでも何とか上り、山頂(?)へ。

とはいえ、山登りみたいなハードさはないですw 普通に上るだけ。

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ここで、山上さんからこの山の説明をうけました。

記憶があやふやで万が一間違って覚えていたら困るので、気になる人は自分で調べていただきたいのですが、

オルモックータクロバンをつなぐ真ん中の峠だったので、なかなかに激戦だったようです。

当時の作戦と状況を聞いていると、ここの峠がなぜ激戦地だったのかが理解できて、

こういう言い方をすると不謹慎かもしれないけど、リアリティを感じました。

 

ここを担当していた第一師団の戦没者英霊之碑があったようなのですが、

台風の影響で…倒れてしまっていました。

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隣の石碑は無事でした。

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全体像。

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慰霊碑を管理する人がいないから、保管していくことが大変だと教えてもらいました。

 

日本からフィリピンの主要都市(マニラ・セブ)まで飛行機で約4時間。

そこからさらに、このレイテ島まで約1時間。

遺族ですら訪れることは大変ですし、遺族も世代交代を繰り返していくと、忘れていきますしね…。

 

オルモック市内へ

またさっきの道におりて、乗合バンを待ちましたが、まてどもまてども来ず…。

途中でやっと来たバスに手をあげて止めて、オルモックへ向かいます。

 

このバスがめちゃくちゃ面白くて!!w

冷房が付いていない代わりに、窓が全部取り外されていて、超早いスピードで走っているから窓からの風がすごく気持ちいのですが…

その窓、腰当たりまで空いてるんですよ!!!何かにつかまってないと落ちて死ぬ!って思いました。

めちゃくちゃ面白かったのに、文章じゃ伝わらないのが残念。

 

オルモック市内についたら、そこからは交渉してトライシクルをチャーター。

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オルモック市内 コンクリートハウス

コンクリートハウスと呼ばれている場所へ。

誰かの建物の敷地内にあって、仕事?しているフィリピン人もいるので、ぺこぺこしながら中へ。

 

上手く全貌を撮れなかったけど、こんな感じの建物。

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ここで、日本軍が籠城して、結果全滅したようなのですが、そこら中に銃弾の跡が残っています。

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この、えぐれたような傷一つ一つが銃弾だと思うと…。

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老朽化が進んでしまって、いつ崩れるか喪分からない感じでした。

オルモック市内 高級住宅街の中の平和之碑

コンクリートハウスのあとは、続いて高級住宅街へ向かいます。

ここは入り口にガードさんがいるので、パスポートを見せてお願いして入れてもらいます。

運が悪いと入れてもらえないかもしれません。

 

住宅街の中に、ありました。

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近寄ってみると、誰かが添えた花束と、観音様?マリア様…?(違ったらごめんなさい)

吹き飛ばされてないってことは、誰かが台風の後においてくださったんでしょうね。

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説明書き。

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オルモック市内の夜

そうして、初日の慰霊碑巡りは終えて、市内に帰ってまいりました。

オルモックは港町なので、海が見える!

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セブと違ってのんびりしてて良いな~住みたいな~とちょっと思っちゃったw

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そしてフィリピン側の慰霊碑も。連合軍に協力したレジスタンスの記念碑です。

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夜もきれいでした。

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誰かアーティストが来ていて、みんなでキリストの歌を歌っていました。年末でしたしね。

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余談 ホテル

こうして初日は終了。

私にとっては、はじめての「バックパッカー的旅行」。驚きの連続でした。

 

ちなみにホテルはIA LODGEというところにしました。2,289円。

お湯のシャワーちゃんと出ました。

女子一人だし、お金はケチらないから安全なところ&綺麗なところを…と思っていたのですが、

そもそも、安くないホテルなんてないんですよ、このへんww どのホテルも激安。

 

綺麗さで選ぶとモーテルとか、綺麗そうなところがたくさんあったのですが、

モーテルって、外から部屋まで直接来れちゃうから、無し。

ちゃんとフロントがあって、、、かつ、ホテルの周りも治安が悪くないとこが良いな。。。と口コミ読み漁りましたよ。日本語の口コミないので、グーグル翻訳に頼りました。

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こんなところで女子旅、する人いないかもしれませんが参考にしてください。